彼女たちについて考えるいくつかのこと。




「うひゃああっ!」
 奇妙な悲鳴が後ろから聞こえて思わず振り返ると、ぼくの10歩ほど後ろで真宵ちゃんが、道路に両手をついて座り込んでいた。
「なんで真っ平らな地面で転ぶかな」
 ぼくはいつものように軽口を叩いて、彼女が立ち上がるのを待っていたのだが、真宵ちゃんはうずくまったままの姿勢で動こうとしない。
 笑っていられる状況ではないことに気づき、慌ててぼくは彼女に駆け寄った。

 荷星さんの無罪判決を勝ち取った数日後。トノサマン事件の細々とした残務処理を全て終え、夜道を真宵ちゃんと二人で事務所に帰る途中のことだった。
 
 真宵ちゃんの足元には、転んだ際に脱げた下駄が転がっている。履かせようと思って手に取って見ると、右の下駄の鼻緒が切れていた。
 そういえば、時々歩きにくそうにしていたような気がする。真宵ちゃんの田舎と違って、アスファルトばかりの都会は、下駄ではさぞかし歩きにくかったろう。
 ……もっと早く気づいてあげれば良かった。

 どうやら転んだ際に右ヒザをすりむいたらしいが、ケガの様子を見るには光量が足りなかったので、真宵ちゃんを抱きかかえるようにして、近くの電柱の下まで運んだ。
 電柱に真宵ちゃんを寄りかからせて、その足元でぼくは膝をつき、彼女の脚を見せてもらう。体重がかかると痛いらしく、右足が宙に浮いている。
 それにしても人気がないのは幸いだった。これは端から見たら、年端もいかない少女を公道でかどわかしている不埒なサラリーマンの図に見えかねない。

 白い光の下で見ると、膝頭から血が幾筋か流れ出していて、その周りが少し青あざになっているのが分かった。
 別にヨコシマな気持ちがあるわけじゃないけど、女の子の脚を間近に見ることに多少のためらいは当然あるわけで、でもそういうことを考えているとは知られたくなくて、何事もないかのような口調でぼくは尋ねた。
「ぶつけたのはヒザだけ?」 
「え…っと、ちょっと足首も痛い…かも」
 目の前に浮いていたかかとを軽く持ち、上下にゆるく動かしてみた。
 真宵ちゃんの眉間の皺が深くなる。
「骨は折れてないみたいだけど、少しくるぶしの上が腫れてるような気がするね。くじいたかな」
 事務所においてある救急箱の中に、湿布は置いてあったっけ。


「歩けるかい?」
 しゃがんだぼくの左肩に手を乗せて体を支え、真宵ちゃんは歩きだそうとしたが、次の一歩が踏み出せない。 
「無理そうだね。じゃあ、はい」
 しゃがんだままぼくは真宵ちゃんに背を向けた。
「え、なに?」
「なにって、おんぶだよ。事務所まであと10分も歩けばつくんだから。ほら」
「いいよ、いいよ。しばらく休んだら歩けるから。なるほどくん、先に帰ってて」
「ぼくはそこまで人でなしじゃないぞ」
「だってなるほどくん、仕事が終わったところで疲れてるのに、余計疲れちゃうじゃない」

 なんだかな。
 やれ、みそラーメンが食べたいだの、トノサマンのトレカが欲しいだの、取るに足らないわがままは平気で言うくせに、別段甘えても構わないような時に限って、この子は変に遠慮がちになる。
 しばらくの間、大丈夫、大丈夫じゃないで押し問答をしていたのだが、
「ああ、もうっ。こんなことで揉めてる方がよっぽど疲れる。いいからさっさと乗る!」
「はいっ!」
 埒があかないので、いつもよりちょっとだけ強い口調で申し渡すと、彼女はびっくりしたような顔をして、ぼくの両肩に慌てて手をかけた。やれやれ。
 
 しぶしぶというよりおずおずと、とても遠慮がちに真宵ちゃんの体がぼくの背中に移動した。そのまま、よいしょ、と気合いを入れて立ち上がったのだが、やけに彼女の体の重心が後ろのほうに傾いている。
「ごめんね、なるほどくん、重くない?」
「軽くはないけど」
 つい、いつものノリで返してしまうと、
「ううう、ごめん」
 湿っぽい声が後ろから聞こえた。まずったな。
「真宵ちゃん」
「え、な、なに?」
「そんなに後ろにのけぞってると、バランスがとれない。落としやしないから、もっとぼくに体重を預けて。その方がラクだから」
 
 真宵ちゃんは彼女なりに体勢を工夫しようとしているらしいのだが、腕にも脚にも妙な力が入っていて、背負いにくいことこの上ない。
 仕方ないので、その場で軽くジャンプして、真宵ちゃんの体を宙に浮かせて背負い直した。
 はずみで、「ふひゃ」とも「うにゃ」ともつかない妙な声が後ろから聞こえた。あまりの色気の無さに、ぼくは思わず吹きだしてしまい、頭のとんがりを引っ張られた。
「いてて。ハゲたらどうするんだ」

 真宵ちゃんを背負って歩き出したはいいものの、今度は「ごめんね、大丈夫? ごめんね」としきりに頭上から声が振ってくる。
 痛いのも不自由な思いをしているのも真宵ちゃんなんだから、ぼくに謝る必要なんかないのに。
 それとも、そんなにぼくは頼りなく見えてしまうのか?

「気にしなくていいよ。もし妹がいたらこういうこともしてたかなって、そう考えるのは、結構悪くない気分だから」
「何言ってるの。あたしはなるほどくんの妹じゃなくて、お姉さんでしょ。そうか、弟におんぶされてると思えばいいんだ!」
 少し、調子が戻ってきたみたいだ。

「なるほどくんには、お姉さんが二人いるようなものだね」
 ぼくたちはまだ千尋さんのことを、過去形ではうまく話せない。
「いやあ、千尋さんはお姉さんと言うより、師匠だからな。うん」
「おねえちゃん、素敵だったでしょ」
「うん。最初に会った時は、こんなに若くて綺麗な弁護士さんがいるんだ、って、ちょっとカンドーした」
「ははーん、さては惚れたな」
「とんでもない。全く同じ土俵に立てる感じがしなかった。それくらい千尋さんはぼくにとっては凄い人だよ。年齢とか性別とかそういうこと抜きで、純粋に尊敬できる人だった」
「じゃあじゃあ、あたしは?」
「え? 真宵ちゃんのこと? …覚えてないなあ」
「なんで」
「まあ、暗かったからね」
「そんな理由かよ!」
「真宵ちゃん、ツッコミがぼくに似てきたんじゃないか?」

 そんな訳がないだろう。

 あの日…冷たくなった千尋さんの体を前にして、それでもどうにか冷静さを失わずにすんだのは、真宵ちゃんがそこにいて、ぼくが先に取り乱してしまうことを許してくれなかったからだ。
 ぼくたちはそういう出会い方をした。もしもあの時ぼくひとりだけだったならきっと、みっともなくわめいて泣き叫んで取り乱して、目も当てられなかったに違いない。

 千尋さんと過ごした時間はわずかだった。覚える仕事が多すぎて、とても大変だと思っていたけれど、その間ずっとぼくは千尋さんに守られていた。

 全ては彼女がいなくなってから聞かされたことだ。
 千尋さんの家のことも、彼女が追いかけ続けていた事件のことも。
 ぼくは何も知らなかった。知ろうともしなかった。千尋さんはあんなにぼくに沢山のことを、惜しみなく与えてくれたのに。

 彼女の遺志と事務所を受け継ぐことになり、遺品と手がけた仕事の資料を整理して改めて、失ったものと遺されたもののあまりの大きさに愕然とした。
 それでもそのプレッシャーに押しつぶされてしまわずにすんだのは、ぼくよりもずっとつらいはずの真宵ちゃんが目の前にいるのに、ぼくが先に倒れてしまうわけにはいかないと、その思いがぼくを支えてくれたからだろう。

 だから君はぼくに謝る必要なんかない。
 庇護の対象を側に置いて、その子を守るふりをして、逆にすがっているのはぼくのほうだ。

 
 15分ほど歩いたところで、事務所の入ったビルが見えてくると、真宵ちゃんの様子が落ち着かなくなった。
「なるほどくん、もう降ろして。あとは自分で歩けるよ」
「いいって、もうすぐ着くんだから」
「だって顔中すごい汗だよ。息上がってるし」
 ううううう、情けない。
 こんな小さな女の子くらい軽々と運んでみせたいのに、ぼくの乏しい体力はあっさりと、男の沽券を裏切った。

 正直なところ…ちょっと休みたかったのは確かなので、真宵ちゃんの言葉に少しだけ甘えて、彼女の体を下に降ろした。
 さりげなく両手を振って、腕の痺れを追い払う。多分明日には筋肉痛になっていること確実だ。
 真宵ちゃんの右足を見ると、顔を近づけなくても分かるくらいに、足首が腫れてきていた。
「これじゃ歩いたら痛いだろ。動かさない方がいいよ。明日病院に行って診てもらおう」

 その言葉に、真宵ちゃんの表情がみるみる暗くなった。きっと、ぼくにまた迷惑をかけてしまったとか思ってしまっているのだろう。君のせいじゃないのに。
「……あたし、いつもこうだね。なるほどくん、ごめ…」 
 最後まで言わせたくなくて、今度は半ば強引に背中に担ぎ上げ、速度を上げて歩き出した。もちろんカラ元気だ。
 またへんてこな悲鳴とともに、細い両腕がぼくの肩にしがみつく。背中に感じる柔らかな重みに向かって、胸の内でそっと呟く。
 
 たまには、カッコつけさせてくれ。

 そのままぼくは歩みを早め、全てが始まった場所に向かって走った。





written by MIYA(美夜)
2004.08.29 (sun)








あとがき

 逆裁サイトは持ってないんですけど、1〜3までクリアしたら、どうしてもSSが書きたくなって、こんなのを書いてしまいました。
 優しいんだけど、どこか醒めているなるほどくんが好きでして、そういう部分を書きたいなあと思って書いたのですが。…なんだかなるほどくんがとってもリリカルになってしまいました。あれ?
 ナルマヨっぽくなってますが、この二人には兄妹みたいな関係を続けて欲しいと思ってます。「真宵ちゃんとぼくがどうにかなるなんてありえない」っていう思いこみに捕らわれて、永遠に恋愛感情を持たないといいと思います。意固地さと強がりと痩せ我慢とで武装して、好きでもない女のためでも体を張っちゃうような、バカタレな男でい続けて欲しいです。





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